佐藤ひよりのプロフィール

当ブログの運営者、佐藤ひよりです。

このブログは、主に以下の内容について情報を発信していく雑記ブログです。

  • バリ島の観光情報
  • 海外移住について
  • 退職後の奮闘記
  • ライターのお仕事
  • フリーランスの働き方

読者様の中にはわたしのことを知らない人もいると思うので、今回の記事ではざっくりとプロフィールをお伝えさせていただきます!

 

わたしの家族

北海道の白糠町という田舎で育つ。田舎にこういうヤンキー、よくいる。

1991年生まれの北海道出身。家族仲は良く、父、母、兄が2人という平凡な家族構成。

家が建設会社を営んでいるため、小さい頃から両親がリビングで図面を書いたり仕事をしている姿を見ながら育つ。

長男は、生徒会長や部活のキャプテンを任せられるような優等生。
次男は、よくケンカをして警察のお世話になるような不良少年。

そんな真逆なタイプの兄2人に可愛がられながら、なんのストレスもなく19年間を北海道で過ごしました。

 

 

大学進学をきっかけに上京

飲んで遊んでひたすらに楽しい学生生活

19年間をゆるく北海道で過ごし、大学進学をきっかけに千葉県へ引っ越すことに。

もともとテレビで海外旅行の番組を見るのが好きで、異国の地に興味があったため、外国語学部インドネシア語専攻に入学。

よくいろいろな人に「なんでインドネシア語を勉強しようと思ったの?」って聞かれるんですけど、正直なところ大した理由はありません。

ただ、英語が喋れる人は世の中にいっぱいいるし、どうせならまだ喋れる人が少ないマイナー言語の勉強をしておいたほうがネタになるのでは?と思いインドネシア語を学ぶことに決めました。

そんな軽い気持ちで選んだインドネシア語。これが、後々わたしの人生を大きく変えることになります。

 

大学時代にインドネシアの魅力に気づく

わたしの大学時代は、そのほとんどの思い出がインドネシアに関係するものだった気がします。

毎日インドネシア語の勉強をして、一緒に遊ぶ友達もインドネシア人。

そして、初めて訪れた国もインドネシア。

大学1年生の時、短期留学プログラムを使いジャワ島のマランという田舎町へ訪れました。

大学1年次、短期研修で訪れたインドネシアの大学でできた友達

この短期留学がきっかけでインドネシアの魅力に気づき、インドネシアという国、そしてインドネシア人のことがもっと知りたいと思うようになりました。

特にわたしが気に入ったのが、インドネシアのゆったりとした空気感や、インドネシア人の穏やかな国民性。
この2つが、わたしの本質的な性格にとても似てるな~と感じたのです。

 

学生時代にインドネシアにどっぷりとハマり、卒業後はそのままインドネシアに行こうかなとも思いました。

しかし、なんとなく日本で就職する以外の選択肢が想像ができず、卒業後は普通に日本で就職することになります。

 

 

新卒で入社した企業を1年半で退職

大学卒業後、大手の電機メーカーに入社しました。

どうせなら大規模でグローバルな仕事がしたいと思い、海外営業部に配属。
鉄道をアジア各国へ販売するプロジェクトの担当になりました。

出張で訪れたシンガポールのマリーナベイ。日本帰国前日「やっと帰れる」と疲弊しながら眺めた景色は忘れない

入社当初は、同期との研修やなんやと忙しいながらも充実した毎日を過ごしていましたが、入社して1ヵ月で事件が起こります。

会社が、粉飾決算問題により一気に業績が傾いたのです。

 

この事件により、わたしの中で色々な気持ちが駆け巡ります。

わたしは今まで自分の人生の選択肢を、他人からの評価ではなく自分の意思で決めてきたと思っていました。

しかし、会社の業績が悪化してから気づいたのは、わたしは就職という重大な決断を「これがしたい。」という自分の意思ではなく、「他の人から羨ましがられたい。」という他人からの評判で決めていたということです。

その証拠に、会社がニュースやネットで叩かれるようになってからは、わたしがその会社で何をしたくて入社したのかわからなくなってしまいました。

世間からの会社の評判が落ちてからは、わたしの愛社精神は一気に消えてしまったのです。

もともと鉄道なんて別に好きなわけでもないし、そうなると自分の中で「これ以上ここで働いてわたしはどうすべきなのか。」という疑問が頭の中をぐるぐる回ります。

そして結局、入社して1年半で会社を退職することにしたのです。

 

 

退職してからはいろいろなところに旅へでた

ジャワ島で登山した後、山頂に辿り着いて撮った1枚。両脇は留学先の先生

とりあえず、次に何をするかを決めずに退職してしまったため、もとから好きだった旅に出ることにしました。

1年半住んでいた家を引き払い、慣れ親しんでいたインドネシアはバリ島へ。

会社員時代も長期休暇のたびにバリ島へは行っていましたが、会社を辞めてから初めて訪れるバリ島はなかなか新鮮でしたね。

日本にいた時は、友人や周囲の人に「自分は無職だ」ということを伝えると、「将来のことを何にも考えていない」とか「安定してる会社を辞めてもったいない」とか色々言われました。(実際は安定なんてしてないんだけど)

しかし、バリ島に住むインドネシア人に同じことを言うと反応はまったく違います。

彼らは「仕事をしてないなら、これから毎日遊んでられるね。最高じゃん」と言うのです。

こうやって聞くとすごいクズみたいな発言に思えるのですが、毎日同じ時間に出勤し、決められた場所で働くことが正解だと思っていたわたしには、とても救われる言葉に感じました。

それと同時に、できることならこのままバリ島に住みたい。毎日インドネシア人と海を眺めながらビールが飲めたら最高なのに。
漠然とそう思ったのです。

 

 

2018年5月田舎フリーランス養成講座に参加

2018年5月に参加した田舎フリーランス養成講座。終了パーティーの時の写真

バリ島から帰ってきてからは、よく覚えていませんがいろいろなところに行った気がします。

住み込みで箱根に滞在したり、日本一周中の車に同乗させてもらったり、家がなくて後輩の家に居候したり。

バリ島で働く選択肢はいろいろあったのですが、何せ発展途上国は給料が低い。
日本人のわたしが、いきなりローカルのインドネシア人と一緒になって給料月5万円で生活するのは結構しんどいなあと思って現地で就職するのは考え直しました。

日々の生活費を切り詰めて生活してもなかなかお金はたまらない。

そんな時に、カルロスさんのブログで田舎フリーランス養成講座の存在を知りました。

なんと言えばいいのかわかりませんが、とてもピンときたのです。

お金を貯めてからバリ島に行くんじゃなくて、稼ぎながらバリ島に住めばいいという事実に気づいてしまったのです。

とにかくわたしは早く日本から出てバリ島に住みたい。なんなら、日本とバリ島を自由に行き来したい。

そう考えて、2018年5月の田舎フリーランス養成講座に参加することに決めました。

 

いなフリでライティングに出会いそのまま金谷に移住

バリ島でいつも遊んでくれるビーチボーイたち。ビーチでトランプをしている。

 

背水の陣で望んだいなフリ(田舎フリーランス養成講座)では、ライターという仕事に出会いました。

田舎フリーランス養成講座で得たものは「好きなことに本気で挑戦する勇気」だった。

人間、追い込まれれば何でもできるもんだなあ、と。
無事にいなフリの1ヶ月間で、生活費分を稼ぐことができました。

このまますぐにバリ島へ移住しても良かったのですが、腰を据えてライティングスキルを高めたいと考えそのまま金谷へ移住。

ただバリ島移住も早々にする気なので、それの準備も平行して進めていきます。

このプロフィール記事を書いている2018年8月現在は、金谷とバリ島を行ったり来たりしながら生活中です。

ライターの収入を安定させつつ、興味があることはどんどん挑戦していきたいと考えています。

具体的には、

  • バリ島での通訳・翻訳
  • インドネシア語の動画配信
  • バリ島現地でのガイド
  • 日本語教師

などなど。

先のことはどうなるかわからないけれど、とにかく希望に溢れていることだけはわかっている。

そんな感じです!

 

さいごに

最後までプロフィールを呼んでくれたみなさまありがとうございました!

最初に伝えた通り、このブログではバリ島含むインドネシアのお役立ち情報、ライターのお仕事、そしてわたしの会社員辞めた後の奮闘記を語っていきます。

このブログを読んでいる人が楽しんでくれるような記事を書いていこうと思いますので、ぜひ応援してくれたら嬉しいです!

 

 

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